ある晴れた日に









「む〜・・・」


突然の兄さんの声に、僕は読んでいた本から顔をあげた。
兄さんは僕が見ていることにも気付かず、尚も窓際に腰を掛け頬杖をついたまま、
その向こうの青空を眺めていた。



雲に隠れていた太陽が一瞬顔を出し、兄さんが眩しそうに目を細める。
そしてまた「はぁ・・・」とため息を吐いた。


「・・・どうしたのさ、一体」
声をかけるも、まだ気付かない様子。
今度は頭をぶんぶん振っている。
「おーい・・・。兄さーん」
呼びながら手近なところにあった消しゴムを投げてみた。


「・・・いてっ」
・・・見事命中。


消しゴムがぶつかった頭を痛そうにさすって(たいして痛くないハズなのだが)、
恨みがましい様な表情でこっちを見る。


「いきなり何するんだよ、アル〜」
言いながら投げ返してきた消しゴムを器用に避けて、
「兄さんがさっきからため息ばっかりついてるからでしょ。
呼んでも気付かないし・・・」
と、こっちもため息混じりに言ってやった。


兄さんが子どもみたいに頬を膨らませていじける。


あ、可愛い。


そんなことを思う。
もちろんこの状況でそんなこと言ったら、
今度は何が飛んでくるか分からないから言わないけれど。


「どうしたの?」
もう一度訊ねると、兄さんは窓枠から足をぶらぶらさせながら唸っている。


言いにくいのかな。


経験上、兄さんみたいなタイプにはあんまりしつこく訊ねるのはよくないのを僕は知っていたから、
あえてそれ以上何も言わず、兄さんの方から話し始めるのを待ってみることにした。
待ってれば、話してくれるでしょ。
何だかんだ言いにくそうにしてても、ずっと黙りとおせるタイプでもないのだから。
一度閉じた読みかけの本をまた開く。


「アル〜」


一行目を読んだところで、兄さんが僕のことを呼んだ。
「何だい?」
僕はまた本を閉じる。


さっきよりは話す気になったみたいだけれど、
まだ言いにくそうに視線を泳がせている兄さんを見て、
僕は兄さんが一体何について考え込んでいるのか・・・大体の見当がついてきた。


仕方ない・・・背中を押してあげるか・・・。
「・・・また、大佐のこと?」


さりげなく言ったつもりなのだが、
兄さんは結構驚いたみたいで危うく窓の向こうに落下しかけた。
慌てて窓に駆け寄り、落ちかけた体を支えてやる。


「もー、しっかりしてよね」
「・・・う〜、ごめん〜」
そのまま俯く。
そして一言、ぽつりと呟いた。


「・・・大佐に会いたい」


・・・やっぱり。


旅先で兄さんは時々こうなる。
大佐とは色々あって・・・今はどうやら両思いになれたようなのだが・・・、
大佐はセントラルで激務に追われる身、兄さんは旅を続ける身。
いくら両思いでも、ずっと一緒にいることはできない。
用があってセントラルへ行った時くらいにしか会えないので、
たまにこうやって会いたい会いたいと騒ぎ出すのだ。


気持ちは分からないでもないので、
こんな時は気が済むまで甘やかしてあげるようにしている。


昔はこんなに甘えんぼさんじゃなかったんだけどなぁ・・・。
内心苦笑しながら、兄さんの頭を撫でてやる。


「なかなか大佐がいない生活には慣れないね、寂しいの?」
優しく話しかけると、兄さんは「違うんだ」と首を振った。
少し首を傾けて、言葉を探しているようだ。


「寂しいんじゃなくて・・・大佐に会えないのにも、前よりは慣れた・・・と思う」
そりゃ、少しは寂しいけど。
そう付け足して、また言葉を探すような表情をした。
「朝起きた時に、大佐がいないのが嫌なんだ」


・・・・・・へ?
微妙な回答に、一瞬ぽかーんとしてしまう。
そんな僕の様子を見て、僕が何を考えているか悟った兄さんの顔が、
見る見るうちに真っ赤になった。
「あ、朝・・・ってそんな意味じゃないぞ!何もやましい意味はないからな!」
やましい意味ってどんな事?と深くツッコミたい気持ちもあるが、ここは黙る。
「ええと・・・。朝起きた時に隣にいないのが嫌って意味じゃないぞ」
「分かってるよ」


兄さんが顔をあげて、僕の目を見つめる。
真剣な眼差し。


「朝起きて・・・、今日も大佐には会えないって認識するのが・・・何かヤなんだよ」
「・・・・・・」
「会えない事実より、会えないって思っちゃうことが寂しいんだよな・・・」


何度も視線を宙に彷徨わせながらそれだけを言って、兄さんは僕の体に腕を回した。
冷たい僕の体に、何度も何度も頬をすり寄せる。


「兄さん・・・」
こんな時、何もしてあげられない自分が嫌になる。
髪がくしゃくしゃになるくらい頭を撫でてあげると、兄さんは静かに目を閉じた。
「アル〜、しばらくこのままでいさせてな・・・」
呟く兄さん。
子どもを寝かしつけるように背中を優しくさすってやる。


「・・・・・・」
「・・・兄さん?」
完全に黙ってしまった兄さんの顔を覗き込むと、穏やかで規則正しい呼吸。
どうやら眠ってしまったようだ。
「まったく・・・人騒がせなんだから」
呟いて、少し笑う。


まったく、大佐のおかげで兄さんはすっかり甘えんぼになっちゃいましたよ。
今度大佐に会ったらそう言ってやろう。


「早く大佐に会えるといいね、兄さん」
眠り続ける兄さんの耳元でそう囁いて、
僕はさっきまで兄さんが眺めていた空を見つめた。



風が吹き、雲が流れる。
僕はもう一度、兄さんの体を優しく抱きしめた。